PGA REPORT 121
PGA REPORT121 2017/1 No.121

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都会のベッドタウンという
地域性を生かしてジュニア層の
拡大に尽力したい

第22回 野口 祐樹 会員
保谷ゴルフセンター 代表
PGAティーチングプロA級

祖父の代から三代目
震災を機に方向転換を決断

☆   ☆   ☆

  2017年に開業50周年を迎えた保谷ゴルフセンター。東京都西東京市と地名は変わったものの、開業当時は田舎の風情だった。
 祖父の野口道孝が田んぼを潰してボウリング場を造るか、ゴルフ練習場を開場するかを悩んだ末に後者を選択した。ゴルフがブームではなく、定着すると考えてのことだった。
 その11年後の1978年1月に生まれた野口祐樹は3代目として同センターを切り盛りしている。ゴルファー数の右肩下がりが懸念される中、野口はゴルフ界の「若返り」が急務であり、それがゴルフ人口減少の歯止めにつながると考えている。
◇   ◇   ◇
──親子三代に渡っての50周年、おめでとうございます。
野口 ありがとうございます。皆さまのおかげです。
──07年にPGA入会で、15年にティーチングプロA級の資格を取得していますね。ゴルフができる環境でしたから、ジュニアゴルファーとして活躍していたのでしょうか。
野口 3歳の時にゴルフクラブを握ったと親から聞きました。5、6歳でボールを打った記憶があります。初代の祖父はゴルフをまったくしない人でしたが、父はインストラクターでした。
──ゴルフ英才教育を受けたんですね?
野口 遊び半分でクラブを振り回すぐらいで、あまり興味がありませんでした。高校卒業前後にセンターが人手不足に陥り、必然的に手伝うことになりました。その時からですね、やってみようと思ったのは。

──身内にコーチが居たなら上達も早かったでしょうね。
野口 反抗期だったというわけではありませんが、父には教わりませんでした(笑)。
 当時は月に一度、コンペを開催していたのですが、お客様から「一緒にラウンドしたら」と誘われ、初出場したのです。遊び半分、コンペ手伝いの仕事半分でのゴルフでしたから、当然、スコアはボロボロ。「練習場の息子なのにゴルフが下手」と参加者たちから言われたのが、本気でゴルフを始めるきっかけになりました。
 シングルハンデのお客様のスイングを参考に、すべて見様見真似の独学です。仕事前の朝2時間、仕事後の夜3時間の練習を毎日続けました。手はマメだらけ、そのマメが潰れて血が滴り落ちる。そんな繰り返しでした。
 ゴルフクラブを改めて買ったわけではなく、貸しクラブを使っていました。ドライバーはメタルからチタンヘッドに変わる頃でしたが、なぜかアイアンは最新のキャビティ―バックではなくマッスルバックでした。当時はまだクラブの良し悪しもわかりませんでしたからね。
──猛練習で急速に上達したんですね…!?
野口 23歳くらいで80前後のスコアを出せるようになりました。その頃、市にゴルフ連盟ができ、練習場の息子というそれだけの理由で代表に選ばれた。ほとんど強制的に都のゴルフ大会に出場させられました(笑)。試合に慣れ、スコアも良くなり、予選を通過するようになって競技ゴルフに目覚めました。

──ゴルファーとして着実に成長したんですね。経営者としてはどうでしたか?
野口 27歳の時に「ゴルフ事業を手掛けたい」というお客様がいて、相談に乗りました。話が進んで行くうちに「ぜひ手伝って欲しい」と懇願され、手伝うはめになりました。恵比寿の「ラクエンゴルフ」。都内でもまだ数少ないインドア練習場でした。  事業をゼロから始める面白さ、楽しさが引き受けた理由で、2006年のことです。もともとあった器(ゴルフセンター)を切り盛りするのではなく、自分で器を作ってみたいと心のどこかで思っていたのかも知れません。
 インドア練習場と言っても、人に教えるわけですから、それなりの肩書も必要だろうし、何よりも理路整然と的確に指導できる能力が必要です。その為にはちゃんと勉強しなければならないと思い、PGAのティーチングプロ講習会を受講し、テスト受験を目指しました。おかげ様で07年にティーチングプロC級資格を得ました。
──インドア練習場の立ち上げとティーチングプロ受験の二足の草鞋を履いた日々だった…。
野口 保谷ゴルフセンターもありますから、正確には三足の草鞋ですね(笑)。
 インドア練習場が軌道に乗ったことで僕は保谷に戻りました。PGA研修との掛け持ちは色々と大変でした。たとえば、ティーチングプロ講習会C級のマニュアルを覚えなければ指導のスタートラインに立てない。自分の思い込み、これまでの独学をすべて払い捨て、リセットする必要がありました。1年間みっちり勉強したことが後々本当に役立っています。
 ティーチングプロB級受講に際しても頭に叩き込んだ教本が礎になり、久しぶりの机に座っての勉強も支障がまったくありませんでした。顔見知りも増え、研修自体がとっても楽しかった。A級受講では宮崎県や北海道へ遠征し、様々な経験をさせて頂いて本当に感謝しています。

──ティーチングプロA級という指導者としての最高位を取得しましたが、資格はあってもそれをどう生かすかが重要ですよね。
野口 その通りです。自動車免許を取得しても、車を運転しなければ身分証明書に過ぎませんからね。
 データによれば、ゴルファー数は右肩下がり傾向にあり、プレーヤーは減っています。それでもウチのような小さな鳥カゴ練習場はまだ、それほど影響を受けてはいません。
 なぜなら、客層は以前と比べて平均年齢は高くなっており、飛距離は当然落ちている。しかし、130ヤードほどでネットにボールが当たってしまうので、飛距離が落ちた実感を味わわずに済むからでしょう。また、コースラウンドのための練習ではなく、運動不足解消のために出掛けて来るというシニアゴルファーが多いからだと思います。
──と言っても、経営努力はしていますよね?
野口 できる限りのことはやっているつもりです。たとえば、自動ティーアップ機を導入していましたが、6年前からボールを手でティーアップしてもらうようにゴムティーに変更しました。
──6年前からですか?
野口 あの東日本大震災が契機になったんです。計画停電によって自動ティーアップが使えない。というよりも、世間ではゴルフなんかやってる場合じゃなかったですよね。自粛ムードでしたから来客数も激減し、営業スタイルを見直さなければならなくなったのです。
 経費削減を第一に、20、30人在籍していたスタッフ数を10人以下に減らして人件費の削減を図り、セルフゴルフ練習場へと形態を変えました。6年前に比べたなら人件費は7割削減できました。また、震災によって通常の営業時間もセルフで練習してもらうことをお客様に理解して頂けました。
 6時から10時までは早朝ゴルフ営業とし、10時からはスタッフが出勤します。全日セルフ営業ですから打席料は頂かず、ボール代だけが売り上げです。

──震災が転機をもたらしたのですね。しかし、経費削減にも限界があると思いますが…。
野口 ゴルファーの減少に歯止めを掛けることも必要ですよね。僕と同じ30代のゴルファーを増やすため、同級生に声を掛けて月に1回、2時間ほどの打ち放題を実施しています。ゴルフに関する疑問質問に答えながら、とにかくゴルフに慣れ親しんでもらい、ゴルフを好きになってもらおうと考えての試みです。
 延べ30人ほどが集まるよういになり、年2回のコンペも開けるようになりました。
 東京23区外というベッドタウンの地域性から今後はジュニアレッスン、高校生ゴルファー数のアップにも尽力していきたいと思っています。
 また、僕がアスリートゴルファーへのきっかけになったように各地域のゴルフ連盟も様々なイベント活動をより精力的に行って頂けたら嬉しいですね。ゴルフ界全体を若返らせることも急務かも知れません。地元のPGA会員をうまく使って頂きながら、ゴルファー数を右肩上がりにする努力が必要だと感じます。
――ゴルフを手軽に楽しめる環境と、地域に根差したゴルフ練習場の存在は大きいと思います。これからも頑張ってください。
野口 ゴルフ界に少しでも貢献できるように精進していくつもりです。
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