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不眠不休の頑張りでゴルフ場経営の夢を実現! |
牛島プロは、プロゴルファーから実業家に転じたプロゴルファーです。 |
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・・牛島支配人の、ゴルフとの出会いからお聞かせ下さい。
牛島 父が勤務していた会社がゴルフ場(白浜ゴルフ倶楽部)経営に乗り出し、父が現場の管理者として働き始めたことがゴルフを知るきっかけでしたね。
確か、小学校5年生のときです。ただ、出会いと言っても、竹の根っこを切ってクラブにし、ロストボールを打つといった遊びでしたけどね(笑)。
そして中学2年生から(白浜GCで)キャディのバイトを始めました。このときコース専属の松浦プロに出会い、プロゴルファーという職業があることを知ったんです。そして高校を卒業する頃には、プロゴルファーになりたいと決意していましたね。
・・高校を出てすぐにプロを目指したのですか?
牛島 はい。白浜GCのメンバーであった紀陽銀行の頭取の紹介で「西宮高原ゴルフ倶楽部」に入りました。研修生としてではなく、社員として就職したんです。そこでプロを目指し、3年後にプロテストに合格しました。合格後に、知り合いのスポーツ新聞の記者の紹介で広島県の「芸南カントリークラブ」に所属プロとして入りました。それが、広島の地に根を下ろすきっかけとなりました。
・・そしてその3年後に、ゴルフショップを始められたわけですね。
牛島 はい。広島市の大手町という繁華街で「ゴルフショップ牛島」を始めました。20平方メートルくらいの、狭いスペースでしたけど、そこが私の新たな人生の出発点となりました。
・・ゴルフショップを始めようと思われたきっかけは何だったのでしょうか?
牛島 プロになってから広島の医師同好会のレッスンを行うようになったのですが、そのメンバーの方に「プロが経営するショップがあったら面白いのではないか。(クラブ購入の)アドバイスも適切に受けられるし、商品も購入しやすくなる」と勧められまして、ならばやってみようか、と思ったわけです。
それに所属プロになったときのコースとの契約は3年契約でしたので、3年間はがむしゃらに働き、その後は何か事業をやりたいと考えていたんです。芸南GC以外でもレッスンを3ヵ所かけ持ち、休みなしで行なっていましたので、わずかですが貯金もたまっていました。それを開店資金に充てました。
・・さらに、ゴルフ練習場経営にも乗り出しますね。
牛島 はい。ショップ開設の1年後に、練習場の「西広島ゴルフセンター」をオープンさせました。場所は、広島市西区。今の会社(関西緑建)から500メートルほど離れたところです。打席数は30打席、距離250ヤードの打ちっぱなしです。
・・資金はどうなさったのですか?
牛島 銀行から8千万円ほど借りました。山を切り開いての練習場造りは大変でした…。営業時間は、朝の5時から夜9時まで、16時間営業です。従業員を大勢雇う余裕はありませんでしたから、スタート当初は私があらゆることをやりました。レジは家内が担当し、それ以外のことはすべてが私の担当です。
もちろん、(練習場の)所属プロとしてレッスンも行いました。ただ人手が足りないので、時にはお客さんにボール拾いをお願いすることもありましたよ(笑)。
・・そして、関西緑建を立ち上げられたわけですね。ゴルフとはまったく違った業種である造園・土木業に参入されたわけですが、どのようなお考えからでしょうか?
牛島 実は、西広島ゴルフセンターに朝の5時からレッスンを受けにこられる方がいまして、その方が大手建設会社の社員の方だったのです。「これからは公共事業も増える。特に造園や法面保護の仕事は将来性があるからやってみてはどうだろうか」とすすめてくれまして、大いに興味を持ったんです。
それまでの仕事(プロゴルファー)とはまったく異なった仕事なので、それからは猛勉強です。そこで、同じく私のゴルフレッスンを受けられていた方の中に建設省(現国土交通省)の方がいまして、どうしたらよいのかいろいろアドバイスを受けたり、必要な資格も取って、事業を始めることにしたのです。
・・それにしても、プロゴルファーから造園・土木業経営に転じたわけですから、随分思い切った決断でしたね。
牛島 実は、大怪我をしたことが転機となりました。芝刈り機で芝を刈っていたときに、誤って右足の指を3本、落としてしまったのです。スイングどころか日常の歩行さえスムーズにできなくなりました。もちろん試合には行けませんし、レッスンも満足にできなくなる恐れがありました。そこで、なんとかしなければと思い決断したわけです。ある意味、その怪我が背中を押してくれたのだと思います。
・・会社は、何人で始められたのですか?
牛島 6人です。中心となったのは、私と家内ともう一人、園山という者です。園山はプロゴルファーを目指して(西広島ゴルフセンターで)研修生として働いていたのですが、彼はプロを諦めて私についてきてくれました。事務所を他の場所に借りている余裕はありませんから、練習場の一角に開設しました。
・・仕事は順調にいったのでしょうか?
牛島 おかげさまで、受注が徐々に増えていきました。
・・そしてゴルフ場の経営に乗り出したわけですね。
牛島 はい。私はゴルフ以外の仕事に転じたわけですが、プロゴルファーである以上、ゴルフへの思いは誰にも負けないと思っています。いつの日にかゴルフ場を持って、自分の納得いくゴルフ場を作りたいというのが私の夢でした。その夢があったからこそがむしゃらに働けた、といっても過言ではありません。
・・ゴルフ場は、競売で買われたわけですか?
牛島 はい。このゴルフ場は過去に何度となく経営者が代わりました。最初は「アーノルドパーマーGC」でスタートし、その後「豊平GC」「中CC」と変遷し、最後は「広豊開発中国GC」になり、そのとき競売に出されたわけです。
実は前経営者時代に、私がこのコースの支配人兼グリーンキーパーを務めた時期があり、コースのことは熟知していました。
・・いくらで購入されたのですか?
牛島 11億80万円です。銀行からの借り入れでまかないました。
・・アイリスカントリークラブになって、大幅なコース改良をなさったのですか?
牛島 はい。よりプレーしやすい環境を作ろうと思い、思い切った改造を行いました。まず、グリーンをベントにしました。以前はコウライとベントの2グリーンだったのですが、ほとんどのゴルファーはベントを好みますね。「本日の使用グリーンはコウライ」と知るとがっかりします。そこで、2グリーンともベントにしました。
また斜面を削ってフェアウェイやラフを広げ、広々としたコースに変えました。以前はブラインドホールがかなりあって不評だったのです。
・・ゴルフ場は、社長と支配人を兼務していらっしゃいますね。
牛島 はい。こういうご時世ですから、できる限り少人数で運営していこうと考えています。私には息子が二人おり、長男の義和はプロゴルファーの資格をもっており、長男がグリーンキーパーを行っています。
・・社長も、現場の仕事を手伝うのですか?
牛島 もちろんです。毎朝6時にはコースに行きます。そしてフェアウェイやグリーンの芝を刈ります。お客さんのバッグを車から下ろしたり、カートに積みこむ手伝いもします。
そしてその合間に関西緑建の仕事と野菜栽培を行います。あと週2回、朝4時に広島市の中央市場に、新鮮な魚などを仕入れに行きます。レストランで使う食材をまとめて仕入れに行くのです。
・・野菜栽培と言いますと?
牛島 コースの敷地内で野菜を栽培しています。トマト、キュウリ、ナス、ジャガイモ、枝豆などなど、あらゆる季節の野菜を作っています。ビニールハウスもありますし、かなり本格的ですよ。
また、リンゴやナシといった果物も作っています。もちろんレストランで使用するためです。さらに収穫の多い日はクラブハウスの受付の前にテーブルを出し、野菜の即売も行います。大根1本100円といった具合です。旬の野菜が安価に手に入るということで、大評判なんですよ。
自家栽培することで、コース的にもランニングコストの節約になりますし、お客さんに採れたて野菜を食べていただくことができます。まさに一石二鳥です(笑)。
・・支配人の話を聞いていると、凄くお忙しそうですが、休みはいつ取られるのですか?
牛島 休みはありません。プロテストに合格してから今日まで、ほとんど休んでいません。でも、不思議とストレスはたまらないんですよ。仕事が生きがいといってよいでしょう。
唯一の息抜きと言ったら、仕事が終わった後スーパー銭湯に行くことですかね。コースから家までの帰路の途中にあるので、毎日寄って帰るんです。ジェットバスにつかって1日の疲れを取る、それが息抜きであり健康維持の方法ですね(笑)。
・・駐車場は平日にもかかわらず車がいっぱいでしたが、随分と混んでいますね(取材日は平日)。
牛島 リーズナブルな料金設定でやっていますから、おかげさまでたくさんのお客さまに来ていただいています。料金は昼食込みで、平日5、980円、土日祭日8、980円。
今は“百年に一度”と言われる不況の真っただ中にいるわけですが、こういう時代だからこそ、良いコースをリーズナブルにプレーしていただきたいと考えています。そうすれば世のゴルファーがゴルフ離れを起こしません。微力ながら、ゴルフ界を盛り上げていきたいと思っています。
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