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オークビレッヂ GC・PGA新人戦

PGA2001年度指針
2000年度・PGA資格認定プロテストで合格した60名を対象とした「オークビレッヂ・PGA新人戦」が(株)東ハトの協賛を得て、千葉県市原市にあるオークビレッヂゴルフクラブで開催。
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2000年度PGAフィランスロビー事業報告
PPT事業報告
<font size="1">高松宮妃癌研究基金</font> <font size="1">日本盲導育成基金</font>
高松宮妃癌研究基金(左)と 日本盲導育成基金(右)へ寄贈された

 
 「PGAフィランスロピー・地区事業」"フィランスロピー"(博愛、慈善)の名のもと地域に密着したプロゴルフ活動を通 じて、ゴルフの普及と社会貢献を積極的に押し進めることを目的に、6月から11月まで全国でプロアマゴルフ大会、ゴルフレッスン会、障害者ゴルフ大会、サッカーとゴルフの交流大会など34のイベントが開催され、各地区の福祉施設など42団体にチャリティ金1、376万円を寄贈した。

 ツアートーナメント「PGAフィランスロピー・トーナメント」は、6月8日〜11日・奈良若草カントリー倶楽部で開催され、大会期間中のイベントなどで集まったチャリティ金の300万円を高松宮妃癌研究基金、日本盲導犬育成基金及び地元都祁村福祉基金に寄贈した。

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シニアツアー1%チャリティー
1%チャリティー
 PGAシニアツアーは、毎年シニアツアー参加選手やスポンサー、協賛各社、トーナメント関係者などの協力によって、積極的なチャリティー活動に取り組んでいます。
 シニアツアー選手が獲得賞金の1%を寄付する「1%チャリティー」活動は、昨年で10年目を迎えましたが、2000年の1%チャリティー金の総額は131万8,386円となり、このチャリティー金は日本赤十字社を通 して老人福祉関係へ寄贈する予定です。 「1%チャリティー」は91年からスタートし、過去に入浴訪問指導車、訪問看護用車輌、老人福祉環形処遇機器などを寄付。また、94年の阪神・淡路大震災の際には義援金として寄贈してきました。
  PGAシニアツアーは、2001年度以降もこのようなチャリティー活動を積極的に続けて行きます。
1%チャリティー 1%チャリティー
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「スポットライト」59才でプロテスト合格・古市忠夫
SPOT LIGHT
才能、努力、運より"心"が決め手
古市忠夫さん  2001年度PGA資格認定プロテストで、59歳の古市忠夫プロが誕生しました。還暦まであと1週間という9月15日、プロテスト合格者研修セミナーを修了して認定証を手にしました。プロゴルファーを目指す古市プロの挑戦は阪神・淡路大震災で家屋を失った2年後、97年のPGAシニアツアー予選会からスタートしました。その年のシニア予選会でシニアツアー出場資格を取得、PGAシニアツアープロとしてプロ活動を続けながらPGAインストラクター講習を受けインストラクター資格も取得しました。その間には大震災で壊滅状態になった神戸市の復興に尽力、現在もなお住居のある長田区の自治会長として先頭に立って街づくりに邁進しています。

  阪神大震災で家屋(写真店経営)を失うという大きな被害に遭いながら、そこからプロを目指して立ち上がり、シニアツアー予選会、インストラクター講習、PGAプロテストと次々にプロへの挑戦を果 たしてきました。なにが古市さんをそれほど奮い立たせるのですか。
古市氏 「なんでも可能性のあるものには挑戦したい、というのがぼくの生き方です。少しでもチャンスがあればそれに向かって進まなければ気がすまないのです。プロテストは昨年もチャレンジしました。霍本(謙一)さんが昨年テストに合格(史上最年長63歳8ヶ月の記録樹立)したために、余計その気持ちが強くなりました。しかし、今回のプロテストでは通 るとも、滑るとも思いませんでした。ただ目の前にあるものに向かって、追求したいということだけで、合格することに固執していませんでした。今振り返ってみると、プロテストは奇跡の連続だったといってもいいかもしれません。ぼくについたキャディーさんには“奇跡を見せてもらいました”と言われました」
  どんなプレー内容だったのですか。
古市氏 「3日目を終わって3オーバー、当落線上にいました。14番までなんとか2オーバーで来たのですが、15番のティーショットがカート道路ではねて林のなかに入りました。そこにフォアキャディーがいてボールの行方を教えてもらったのですが、グリーン方向にわずかな空間があるだけで、ススキみたいな深いラフが生い茂るひどいところでした。キャディーさんには笑って“ご苦労さん”と言いましたが、内心そんな笑えるような心境ではありません。しかし、苦しい時こそ笑顔を忘れるな、というのがぼくの信条ですから…。クラブがボールに届くかどうか分からないような状況にもかかわらず、なぜかミスするという気持ちはありませんでした。樹木の間の僅かな空間を狙って、9番アイアンで打ちました。打った瞬間、クラブヘッドにからまった草が左へ飛んで、ボールもその方向に飛んだように思ったのですが、残り25ヤードくらいのフェアウェーに出ていました。キャディーさんが“奇跡”と言ったのは、そのことです」
  奇跡的な脱出劇のあとは、ハッピーエンドの幕切れへ一直線ですか。
古市氏 古市忠夫さん「いえいえ、そうはいきません。残り25ヤードのアプローチはちょっと強すぎてピン上2メートル半“しまった!”と思いました。多分、いつもの私ならここで檻の中の熊のようにカップの回りをウロウロ歩き回って、あれこれ思案してパットに入ったと思うのですが、この時は不思議なことにラインを見極めるとすぐアドレスに入り、打つことができました。打った瞬間、入ると思ってボールを拾いに歩き始めたほどです。30年間ゴルフをしていますが、どうしてあんな心境になれたのか、不思議で仕方ありません。林の中から奇跡的に脱出できたせいだったかもしれません。16番もバンカーに入れて15番と同じラインの2メートル半を残したのですが、同じ心境でパットしてパーセーブできました。この時、一瞬ですが合格できるかもしれない、と思いました。18番のパーパットを “お先に”入れて、ピンを持った時、急に体が震えだし、涙が出て止まらなくなってしまいました。それまでは平気だったのですが…。“奇跡が起きた”と思いました。普通 ならビビリながらパットやショットをするところでしょうが、私の場合はホールアウトしてから、“通 ったのではないか”“奇跡が起きたのではないか”と思うと震えが止まらなくなってしまいました。スコア提出所まで一目散にかけて行って、2オーバーは大丈夫だと知って、また震えが来ました」
  プレーを終えたクラブハウスで、同じ2オーバーで合格した中田(慶史郎)選手と抱き合って涙を流していましたね。中田選手は“古市さんのアドバイスがあったから合格できた。古市さんの言葉に勇気付けられた”と言っていました。
古市氏 「当たり前のことを言っただけなのです。ぼくの言葉に勇気付けられたというのなら、それは中田君の感受性、人間性が素晴らしいからです。初日、彼は6オーバーですっかり落ち込んで、ぼくの部屋にやってきました。ぼくは彼がどういう気持ちでプレーしているのかということを聞いて、言ったことは“通 ろうと思うから自分のゴルフができんのや”というようなことです。ショットを曲げて木の中に打ち込んだら、心から木に謝って、フェアウェーに出しなさい、とも言いました。あとで本人から聞いたのですが、7オーバーでスタートした最終日、第1打をいきなり林に打ち込んだ時、“すんませんでした”と謝まり、無理をせずフェアウェーに出したのだそうです。そのホールはボギーでしたが、次からバーディー、バーディー〜。その日、5アンダーの好スコアをマークして合格圏内に入りました。クラブハウスで抱き合って涙を流したのは、彼のスコアを聞いて合格圏内に入ったことが分かった時です。トップ合格した島田(隆央)君にもぼくと話をして心が和んだ、と感謝されました。彼はそれまで2年連続1打差でテストに失敗していたそうです。現代の若者について、いろいろ言われていますが、このように素晴らしい若者はたくさんいます。ぼく自身もそうした若者たちからエネルギーをもらっています」
  古市さんは50歳を過ぎてプロを目指し、それを見事に実現させました。本当に素晴らしいことだと思いますが、多くのシニアアマにとっても励みになるのではないでしょうか。
古市氏 古市忠夫さん「今回のプロテストでは最終だけではなく、2次テストの時から耐えて耐えて…。ぼくは震災の時もそうですが、崖っぷちに立たされないと駄 目なのかもしれません。崖っぷちに立って初めて“なにくそ”という気持ちが出てくる…。何事においても大事なことは心の持ち方ではないかと思っています。“自分は奇跡を起こせる人間だ”と自分自身に言い聞かせていると、本当にそうなるような気がします。最終テストに行って、練習場でボールを打つ選手たちを見た時、ぼくが勝てる相手はいないと思いました。そして、初日上がってみたら1打差に25人もひしめいている〜、これがプロの世界なのかとびっくりしました。最終テストまで進んできた連中ですから、みんな技術も才能も持っているし努力もしてきています。運だってここまで来たくらいですから十分に持っています。そこで合格するために、決め手になるのは“心”ではないかと思ったのです。最終テストまでくるためには、それだけの努力もしているし、才能もあり、運もあるからできることで、あとは各自の“心”次第ではないかと思うのです。今回のテストでも合格する選手かどうかは、歩く姿、挨拶の仕方、感謝の気持ちでプレーしているかどうかを見れば分かりました。ぼくは震災で家が全焼して、逆境に立たされて強くなりました。そして助けてもらった時の感謝の気持ち〜、これはゴルフでも社会生活でも同じように大切なことだと思っています」
  古市さんは97年にPGAシニアツアーの出場資格を取得していますが、それまでにプロゴルファーになろうと思ったことはないのですか。
古市氏 「ゴルフを始めたのが30歳と遅いスタートですから…。でも、シングルになった時、これでご飯が食べられればいいな、ということは思いました。95年にPGAのシニアツアーがアマチュアにも門戸を開放すると聞いて、がぜん挑戦意欲が湧いてきました。書類も取り寄せて出るつもりになっていたのですが、震災のために断念しました。街の復興のために瓦礫撤去の申請を出したりしている時に、ぼくだけシニアツアーのテストに行くわけにはいきません。それにボールも満足に打っていないから、フニャフニャボールしか出ません。そういうわけでシニアの資格取得は震災から2年後ということになりました。シニアでは97年から4シーズン、10試合くらい出場させてもらいました」
  シニアツアーでは予選会をクリアして出場資格を取ってもPGAプロのライセンスを取得することができません。それどころか1年だけの資格なので、シード権を取らなければ翌年また受験料を払って予選から出場しなければなりません。その点どのように考えますか。
古市氏 「幸いぼくはPGAのプロテストに通って会員資格を取ったからいいのですが、そうでない場合はどんなにシニアツアーで実績を残しても毎年予選会に出なければなりません。大きな負担です。岩田(光男)さんや泉(敏和)さんはぼくら以上に素晴らしい成績を残していて、人間としても立派な方々です。その人たちがPGAのプロでないということは、やはり変な気がします。二人は十分実績を残しているのですから、その点をもっと評価してもいいのではないかと思います」
  PGA会員以上に素晴らしい“プロ”がいるのだとしたら、それはPGA会員というステータスにも影響してくるわけですから、考慮する価値は十分ありますね。最後に古市さんがPGAプロになって目指そうと思っていることを聞かせてください。
古市氏 「今までもそうでしたが、可能性を求めて自分ができることがあればなんでも挑戦していきたいと思います。ぼくにはゴルフのほかにも自治会長、消防団の副分団長などということもやっていていろいろなところからエネルギーをもらい、それを街づくりや自分の向上に役立てていきたいと思っています。ゴルフ指導でも技術の指導は多くの人ができるでしょうが、ぼくは心の指導をやっていきたいと考えています」
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第2回PGAインストラクター選手権・優勝 内田政美
第2回PGAインストラクター選手から
インストラクター選手権優勝で出場権獲得
内田政美プロ PGAのインストラクタープロが出場して行われるPGAインストラクター選手権の第2回チャンピオンに輝いた内田政美プロ(35) =準B級インストラクター=は、父親がシニアツアーの初代賞金王で“ケサゴン”の愛称を持つ内田袈裟彦プロという“二世選手”です。94年にインストラクタープロとしてPGA会員になりましたが、「まだツアープロへの拘りは持っています」と、初めて手にした念願の日本プロ出場をきっかけに、ツアープレーヤーへの夢を広げています。  第2回目となるPGAインストラクター選手権は11月21日から2日間、千葉県君津市のジャパンPGAゴルフクラブ(6,891ヤード、パー72)で行われ、最終日1打差2位 でスタートした内田プロが初日同様1アンダー71のスコアをマーク、通算2アンダー142、2位 に5打差をつけて逆転勝ちしました。内田プロは優勝賞金50万円と日本プロ選手権(5月10〜13日・福岡県、ザ・クイーンズヒルGC)の出場権を獲得しました。これまで父親・袈裟彦プロのキャディーとしてツアー競技の雰囲気は十分経験していますが、本人がツアー競技に出場するのはこれが初めてです。「父がレギュラーツアーに出場していた頃、キャディーをしながら自分も一度でいいからこんな雰囲気の中でプレーしてみたい、と思っていました。それが一番大きな舞台である日本プロで実現するのですから嬉しいです。なんとしてでも4日間フルにプレーできるよう頑張ろうと思っています」と内田プロは初めて巡ってきたツアー競技の、それもメジャートーナメント出場のチャンスに胸をときめかせています。
内田政美プロ  現在、芝ゴルフ練習場(月、火、木曜日)と富士カントリークラブ ・グループのゴルフ場(水、金、土、日曜日)でレッスンをしながら自分の練習も続けています。2年前まで専属契約を結んでいましたが、レッスンと自分の練習を両立させるためには専属では困難なため、フリーになりました。「レッスンかトーナメントか、どちらかけじめをつけなければならないと思うのですが、練習だけでは食べていけません(妻と娘二人の四人家族)。ですからレッスンもしなければなりませんが、専属では自分の練習時間を十分に取ることができません。そこでフリーになり、ラウンドレッスンをしながら自分も練習するという方法でここまでやってきました」と言う内田プロは、20歳からプロテストにチャレンジ、94年にインストラクタープロとしてPGA会員になりましたが、トーナメントプロへの拘りはいぜん持ち続けています。
  これまでミニツアーに出場して、優勝したり、2位になったりということはありますが、プロテストの壁は厚く、なかなか突破することができません。「“ケサゴン”の息子ということで注目され、父がプロだから受かるのは当然、受からないはずはない、というような周囲の声、期待感は本人にとっては相当のプレッシャーになります。ぼくは最初から父のゴルフを見ていて、自分もそのレベルに近づかなければ、本当の自信も湧いてこないし、そうできなければ駄 目だと思ってきました。ジャンボの息子の智春君の場合も、みんなから注目される度合いは大変なものでしょうし、取材攻めにあって、自分の力を出し切れないのは当然です。プロになれないはずはない、と思っていても失敗が続くとまた今度も…、といった気持ちになるものです」
内田政美プロ  多くの人は、そうしたプレッシャーをはねのけられなければ一流にはなれない、という言い方をしますが、せっかくの才能が制度上の欠陥によって埋もれてしまうということだってあります。才能のある者が落ちこぼれないように、小さくてもいいからいろいろな入口を設けることが制度を切り盛りする側にとっては必要なことのように思います。そういう意味で、インストラクタープロに与えられた日本プロ選手権へのもう一つの “入口”は、トーナメント出場を目指すプロにとっては小さな入口ではあっても貴重なものです。
  「インストラクター選手権に優勝しましたが、自分では満足していません。60台のスコアで回れなければ胸をはることはできません。自分が良かったから勝てたのではなく、みんなが悪かったから優勝できたようなものです。父に言わせれば“あんなスコアなら俺だって回れるよ”と言うことになります。父はゴルフに関してこちらから聞けば、そのことについては答えてくれますが、自分からああだ、こうだと教えることはしません。一緒にラウンドすることもありますが、息子だからといって手を抜くことは絶対しません。だから、父に勝つことは至難の業です。ゴルフの師匠といえるのは先日亡くなられた小野光一プロと小山内裕仁プロです。父は自分のスウィングについて悩んだことはないんじゃないかと思うくらい、ボールを打つことに関しては天才的です。練習もあまりやる風ではないし、トーナメントでも試合前に10〜20発打つともうお終いです」そんな父親に、今でも歯が立たない内田プロは、だから2位 に5打差をつけて優勝しても、まだ満足できないのかもしれません。
  今年の2月で36歳になる内田プロにとって、5月の日本プロ選手権出場は父親をはじめ、昔から応援し続ける多くの人たちへの恩返しの舞台でもあります。「一番大きな大会ですし、それだけに結果 を出すチャンスだと思っています。4日間プレーすることをまず第一の目標にして、頑張ってきます」と初体験の日本プロ出場について抱負を語っていました。
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レッスンは楽し
レッスンは楽し!
●吉澤 章(KELII)PGAインストラクター準A級会員
吉澤 章 95年にPGA会員となったインストラクター準A級の吉澤章プロ(33)は、「クリスタルゴルフガーデン東松山」(埼玉 県東松山市石橋1694-1、TEL:0493-26-0345)と「Doゴルフプラザ」(埼玉県鶴ヶ島市五味ヶ谷232-2、TEL:0492-87-4500)の2つのゴルフ練習場でゴルフ指導を行うかたわら、自らインターネットのホームページを立ち上げ、ゴルフレッスンやゴルフ情報の発信などをウェブ上で展開しています。
  インターネットのホームページは9月に立ち上げたばかりですが、そこでは動画を使った「Dr.Yoshiのウェブレッスン」をはじめゴルフ情報、ゴルフスクール案内、生徒募集、自らボランティアとして参加した第2回障害者ゴルフ大会の報告・感想、コラムなど盛りだくさんの内容で、インターネットを利用したゴルフの指導・啓発という新たな活動と取り組んでいます。

  「パソコンは5年前から始めていますが、インターネットにホームページを立ち上げてゴルフレッスンやゴルフ情報を発信しようと思ったのは2年前くらいからです。トレーニング中に足首を骨折して半年ほどゴルフができなくなったこともあってホームページ作成に取り掛かたのですが、なかなか思うようにはいかず、立ち上げまでには3〜4ヶ月かかり、ようやく9月にスタートすることができました。これをどう活用していくか…、スクールに来ている生徒さんの中には携帯電話の端末を持っている人もたくさんいるので現在はスクールの予定やレッスン内容の掲示、伝達などいろいろ利用しています」と吉澤プロは今後さらにインターネットを使ったゴルフ情報の発信、レッスンなど新たな展開をいろいろ頭に描いているようです。
吉澤 章  ホームページのドメイン名にある“KELII”いうのはハワイ語で、“指導者”とか“向上心を目指す”、“業界トップを目指す”といった意味なのだそうです。ハワイが大好きだという吉澤プロはハワイ語に自分の気持ちを託して“業界トップ”を目指そうとしているのかもしれません。“ケリイ・ドット・コム”のホームページを覗いてみるとこんなふうです。表紙にはトピック・ニュースやウェブレッスン、コラム、データベース、ハウツー?、Eメールなどの項目が並んでいてそれぞれの項目をクリックするとさらに詳しい内容を見ることができます。
  「ウェブ・レッスン」の第1回、Dr.Yoshi(吉澤プロ)が指導する “ドローボール篇”では「こすりスライス、引っ掛けフックよサヨウナラ!間違いだらけのフックボールはもう卒業しよう!」と題してドライバーと7番アイアンのショットをスローモーションとノーマル・スピードで見せながら、ど うしてスライスになったりダグフックになるかということを分かりやすく説明しています。
  「ゴルフ離れがいろいろ言われていますが、そうした傾向は一層進んでいるように思います。多い時は一週間に150名くらいの生徒をみていたこともありますが、今は1施設60名くらいです。ゴルフ指導ということを根本的に見直す時期に来ているように思います。どうしてゴルフを習いたいと思うのか、ということを考えて指導にあたる必要があります。ゴルフが本当に楽しいと思えばゴルフ離れは起きないと思います。そのためにはゴルフ教室の内容を充実させ、魅力あるものにすると同時に教えるプロの質も問われることになります」
  吉澤プロはそうした難しさについてこう語っています。「たいがいの人はプロに教わればすぐ上手くなると思っています。そこで1、2回教わったくらいでは上手くならないんだ、ということを説明して、継続的な指導の必要性を分かってもらわなければなりません。
吉澤 章  コースレッスンはゴルフの楽しさを理解してもらうためには非常に良いので、そうしたチャンスを多くつくるようにします。また、指導するときの言葉は多過ぎても、少な過ぎても駄 目だと思います。なんのために直すかということを簡潔に説明する。ぼくはPGAのインストラクター講習を受講してから、言葉で自分の言いたいことを伝えられるようになりました。感覚だけではなく言葉で教えられるようになったと思っています。ゴルフは勘違いのスポーツという一面 もあるので、常に多くの情報を得られるようにしなければと思っています」
  吉澤プロはこれまで聴覚に障害を持つ人を指導してPGAの第1回フィランスロピーオープンに出場させたこともあります。それだけに障害者を対象にしたゴルフ教室の開講を練習場側にアピールして、春頃からスタートさせたいと思っています。また、同時にジュニア教室も開いて親子でゴルフを楽しむ環境づくりも考えています。 「野球やサッカーが盛んなのは子供の頃からそのスポーツに親しんでいるからで、ゴルフも小さい頃から親しめる環境をつくれば、発展につながると思います」
  吉澤プロにとって2001年はツアー競技出場の夢もあります。昨年11月に行われた第2回PGAインストラクター選手権では、初日単独トップに立ちながら最終日スコアを崩して3位 、優勝者に与えられる日本プロ選手権出場のチャンスを残念ながら逃がしましたが、地区予選の出場資格は獲得したので「最大の夢」である日本プロ選手権出場を目指します。
  「ゴルフ教室にくる生徒の喜ぶ姿を見るためにも、教えるプロの自覚をもって、自分が何をするかを追求していこうと思っています」そのためには、ツアー競技出場も “自分が何をするかを追求する” ための一つのステップといっていいのかもしれません。
  なお、吉澤プロのインターネット、ホームページのアドレスは
  http://www.kelii.com/です。
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