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1957年のカナダカップ(現ワールドカップ、埼玉・霞ヶ関CC)で優勝するなど通算36勝(公式戦17勝)を挙げ、引退後も指導者として多くのプロを育て日本プロゴルフ界の発展に寄与してきた中村寅吉氏が11日午後4時15分、老衰のため神奈川県の病院で逝去された。92歳。慎んでお悔やみを申し上げます。

1950年から1980年代にかけ日本ゴルフ界を牽引した第1人者で、日本オープン3、日本プロ4、関東オープン7、関東プロ3など公式戦17勝をはじめ通算36勝をあげた。
1957年日本で初開催のゴルフ国際競技のカナダカップ(現ワールドカップ、埼玉・霞ヶ関CC)で小野光一と組み優勝、個人でも優勝する快挙で日本に第1次ゴルフブームを巻き起こした。当時の米ツアーのトップスター、サム・スニードと親交が深くピート・ナカムラの愛称で世界的に知られた。
日本プロゴルフ協会副会長を経て同協会相談役。日本女子プロ協会の創立にもかかわり初代会長をつとめた。パットの名手として知られ現日本女子プロ協会会長の樋口久子ら数多くの選手を育てた。日本プロゴルフ協会現会長の松井功も教え子のひとり。
1981年、65歳のとき関東プロシニア選手権で65のエージシュートを達成、公式戦初のエージシューターとして世界的な話題となった。
こうした功績が認められ、平成5年には勲四等旭日小綬賞を授賞。平成3年の安田幸吉氏に続き、ゴルフ界では2人目の叙勲となった。


中村寅吉相談役を悼む談話   (社団法人日本プロゴルフ協会 会長 松井 功)
日本プロゴルフ協会(PGA)は昭和32年(1957年)に設立されましたが、中村先生は設立当初からのメンバーであり、奇しくもPGAが設立された年に、カナダカップ(現:ワールドカップ)で優勝されました。
小さな体をものともせず海外のトッププレーヤーを相手に勝利し、日本のゴルフを世界にアピールしたことは、日本のゴルフ界にとって史上最も偉大なことであったと思います。
昨年11月にPGA創立50周年の記念パーティーを実施し、日本プロゴルフ界の最大の功労者である中村先生を表彰させていただきましたが、年が明けて早々このようなことになり誠に残念でなりません。
中村先生は教え方は厳しかったけれども、いつも笑顔で、樋口久子、安田春雄といった日本を代表するトッププレーヤーを育て上げ、指導者としても一流でした。
心からご冥福をお祈りいたします。


中村寅吉氏プロフィール
主な経歴  PGA入会 戦前
         日本プロゴルフ協会役員歴
         相談役  昭和58年(1983年)〜現在
         副会長  昭和44年(1969年)〜昭和58年(1983年)
         理事    昭和34年(1959年)〜昭和58年(1983年)
         ※昭和53年より理事長・副理事長を改め会長・副会長となった。
         (参考)
         日本女子プロゴルフ協会
         会長    昭和49年(1974年)〜昭和62年(1987年) ※初代会長
         顧問   昭和63年(1988年)〜現在


表 彰     日本プロスポーツ功労賞 昭和43年(1968年)
         文部大臣表彰 平成3年(1991年)
         勲四等旭日小綬賞 平成5年(1993年)


主な戦歴  カナダカップ 団体・個人優勝(1957)
         日本プロゴルフ選手権大会(1957・1958・1959・1962)
         日本オープンゴルフ選手権競技(1952・1956・1958)
         関東プロゴルフ選手権大会(1960・1961・1968)
         関東オープンゴルフ選手権競技(1950・1951・1952・1953・1956・1957・1958) など通算36勝